東京サレジオ学園への手紙
2001年6月19日発送

サレジオ学園 / サレジオ会日本管区 / 日本カトリック協議会

社会福祉法人東京サレジオ学園理事長様

児童養護施設東京サレジオ学園園長様

 前略、

 突然手紙を差し上げる無礼をお許しください。

 私は、東京サレジオ学園の卒園生です。

 小学校1年生から中学校3年まで、東京サレジオ学園で暮らしました。その9年間の生活は、振り返ってみれば、それなりに楽しいこともありましたが、強制収容所のような生活でした。周りを塀に囲まれた施設の中で、学校も塀の中にあり、施設の外に出るのは特別な時だけでした。朝起きてから夜寝るまで、塀の外へ出ることはなく、外界と隔絶された生活をしていました。テレビも制限され、手紙は開封されていました。塀の外から本を持ち込むときは、職員が検閲し、許可の出た本しか読むことが出来ませんでした。

 おかげで、塀の外の世界を知ることなく、中学校を卒業して社会に出るときは、常識を知らない世間知らずのおぼっちゃまとなりました。お金の使い方も知らない、生活全般を知らない、大人との接し方を知らない、社会常識を知らないなど、家庭で生活すれば、または外部に開かれた養護施設であれば自然に身に付くことを、まったく身に付けずに施設を出ることになりました。

 養護施設の使命は、子どもの生活全般の自立を目指し、社会で一人で自立できるように育てることだと思います。しかし、サレジオ学園の社会から隔絶された収容所生活は、社会不適応者を作り出すだけのものでした。サレジオのスケジュールや職員の命令に従う生活は、自らものを考え行動する心が育たず、心を殺しただスケジュールや職員の命令に従う無気力な流される心を育てました。社会に出た出身者の多くは、浦島太郎の苦労を味わったと思います。

 私も、さまざまな苦労しながらも、少しずつ社会に適応していきました。サレジオで培った常識は、世間で非常識にあたるものが多く、さまざまな軋轢を生み出しました。サレジオの常識を忘れ、世間の常識を覚え込むことで、少しずつ、本当に少しずつ社会に適応していきました。

 しかし、世間知らずだけでは説明の付かない、さまざまな奇妙な精神的、身体的症状に悩まされ続けました。

 まず、教会に行くことができなくなりました。学園にいたときは、熱心な信者であり、堅信の秘蹟まで受けた私が、教会の前まで行くのに、門から中に入ることができなくなりました。神父様の黒い服を見ると、恐怖が沸き上がり、近づくことができなくなりました。

 高校生の時は、万引きが止まらず、自分の体に何かが乗り移っているかのようでした。なんとか止めようと、自分の手を石で叩きつけて傷つけたりもしましたが、心が別人格に乗っ取られたような感覚になり、どうにも止めることが出来ませんでした。万引きは、警察に捕まっても治らず、家庭内性虐待の記事を読むまで続きました。

 男の人と同じ部屋にいると、息苦しくなり、パニックを起こしそうになりました。不安や動悸を懸命に押さえ、早く外へ出ることばかり考えていました。

 時折、体に何かに押さえつけられたような悪夢にうなされ、金縛りにあい、寝付けなくなりました。 (この症状は30歳頃まで続きました)自分の体が自分のものでないような離人症とも呼ぶべき感覚に、ずっと悩まされ続けました。

 自分が汚れている、罪人であるとの意識が拭いがたく、誰ともうち解けることができず、1人孤独に籠もろうとしました。

 仕事をするようになっても、定期的に鬱に襲われ、職場に向かうことが困難でした。男性ばかりの職場で、いつも、不安と動悸に襲われて仕事をしていました。

 そして、不安発作に襲われると、何もかも捨て、逃げ出したい気持ちに駆られました。わけもなく死にたくなり、何度も自殺をしようとしました。電車が接近してくるホームの端を歩いたり、歩道橋から下に飛び降りようとしたり、首吊り用のロープを部屋につるしたりはずしたり、睡眠薬を多量に飲んだり・・・、さまざまな方法で自殺しようと考えていました。かろうじて踏みとどまったのは、 カトリックの教えである「自殺は罪である」という言葉が頭に焼き付いていたからでした。

 当時は、過去の記憶もなく、これが性虐待の後遺症であるとの認識もなく、このような弱い自分をただ責めるばかりでした。

 性的な面でも、同性のそばにいると息苦しくなるにも関わらず、ゲイに近づいては襲われかけ、這々の体で逃げ出したりと、トラウマの再演と呼ばれる行為を繰り返していました。

 それでも、自分で自分の心を組み立て治し、奇妙な行動・考えを理性で修正し、少しずつ、本当に少しずつ、普通の生活ができるように努力してきました。

 30歳を過ぎてから、縁あって結婚することになりました。男の子が生まれ、自分と同じ思いはさせたくないと、叩かずに育てることを固く決意しました。学園では、何かと殴られていました。子どもを殴らずに育てることは、殴られて育った自分の過去を否定するようで、とてもつらい気持ちでした。それでも、子どもに必要なのは叩くことではなく、愛情ある言葉と無条件のぬくもりであると信じ、子育てをしました。

 子育てをしていると、過去の自分に不足していたものが見えてきました。自分はこんな大切にしてもらえなかった、こんなに大人から愛されなかった、かけがえのない存在として認めてもらえなかった、そんな思いが渦巻き、子どもに嫉妬の感情を持つこともありました。それでも、負けずにがんばっていました。

 その甲斐あって、子どもは素直に育ち、我が子がとても愛おしく、子どもも妻よりも私のところに来るほどでした。子どもは私の大切な宝物となりました。

 ところが、子どもが1歳の頃、お風呂に入れていたときに、過去の記憶が突然戻りました。それは、サレジオ学園の元園長であるT・M神父から受けた性虐待の記憶でした。

 小学4年生から、たぶん5年生までのあいだ、T・M神父から性行為を強要された記憶が、イメージだけでなく、感覚、感情も含め、すべての記憶が戻ってきました。

当時の神父の言葉、身体に受ける刺激、手や身体などで性行為を強制される感覚。心が当時に戻り、再度、その場面を体験しているかのようでした。それがフラッシュバックと呼ばれる現象であることを知ったのかなり後でした。

 この記憶は、ずっと私の脳裏につきまとい、いつまでも離れませんでした。仕事をしていても、電車に乗っても、子どもと接していても、この映像や感覚が流れ込み、渦巻き、取り憑かれるようになりました。思わず大声を出したり、逃げだそうとしたり、まともに生活をすることが困難になりました。性虐待の記憶がよみがえったことなど、誰にも相談することはできず、1人で悶々としていました。再び、死ぬことばかりを考えるようになりました。

 子どもと接していると、怒りが湧いてきて、子どもを滅茶苦茶にしたい欲求が湧いてきました。子どもを愛しているにも関わらず、その子どもに怒りをぶつけたくなる。それを懸命に押さえる毎日でした。5,6年の間、このフラッシュバックに苦しめられました。

 同性愛に対する差別と偏見があるこの社会において、子ども時代とはいえ、同性からの性暴力を打ち明けるのは好奇の対象となりかねず、それが判るだけに、誰にも相談できず、1人で悩み続けました。
 
 そんなある日、サレジオ学園の50周年の式典があると聞きました。いつもサレジオ学園に行こうとすると、ギリギリまでグズグズして、ようやく出掛けても、道に迷ったり、バスを乗り間違えたりと、なぜかたどり着くことが出来ませんでした。結婚前に信者籍を移すために行ったのが初めてでした。

 式典当日も、なかなか家を出ることが出来ず、ようやく学園にたどり着いたのは、式典も終わったあとでした。それでも学園を案内して貰い、教会に入りました。そして、地下室に入ったとき、突然、目の前にT・M神父の写真が現れました。とたんにフラッシュバックが起こり、当時の感情や感覚がよみがえりました。パニックになりながらも、怒りが湧き、ペンキをかけようとペンキの缶を探しました。もとよりペンキが置いてあるわけもなく、今度は、写真のガラスを割ろうとしました。ふと正気になると、怪訝そうな妻の顔が目に入り、あわてて地下室を出ました。教会の椅子に座り、神に祈り、懸命に自分を落ち着かせ、再度、地下室に戻りました。

 いまは亡きT・M神父の遺影と向き合い、対決をしました。

「この恐ろしい聖職者のペドフィル(小児性愛者)の秘密を、誰にも言わずに死んでいったのか」 「私以外に、どれほどの男の子を犯し続けたのか」「いま、地獄にいるのか」「死ぬときに、懺悔したのか」

「子どもたちに謝罪して死んでいったのか」・・・、思いはさまざまに渦巻き、問いかける言葉に応えはなく、泣きながら1人空しく語りかけるのみでした。

 いままでの思いの丈を吐き出し、聖堂を出るとき、過去からの亡霊から逃れることが出来たような気がしました。

 しかし、過去に原因が判ったとはいえ、さまざまな症状が簡単に納まるものではありません。 トラウマに引きずり込まれないように、意識しながら、自分の奇妙な習性を直していく毎日でした。

 記憶の回復は、まだ続いていました。フラッシュバックは、安心しているときに、突然やってきました。昨年は、T・M神父の部屋にいた別の男の子を思いだしました。

 その男の子は、小学5年から中学3年の卒園まで、私がずっと憎み続けていた男の子でした。記憶を亡くしたにも関わらず、その子を憎み続け、仲良くすることが出来ませんでした。いま思えば、同じ被害者でありながら、嫉妬していたのでしょう。被害者同士が憎しみあう、まるで地獄絵図の世界です。

 親のいない子ども、ぬくもりを知らない子どもにとっては、性虐待ですら、数少ないぬくもりとして受け入れていたのだと思います。人恋しく大人を求める子どもの気持ちを、おのれの性的欲求のために利用する。しかも、信者である子どもに対し、絶対的な指導者であり、子どもを育み守るべき神父が、子どもたちを陵辱する。それも、何人もの子どもを、何年間にも渡って。

 カトリックの神父であり、サレジオ学園の2代目園長であり、子どもを大切に守り育てるべき聖職者が、サレジオの男の子たちを虐待し続ける。まさに悪魔の所行です。

 T・M神父は、ミサを執り行いながら、どのようなことを考えていたのでしょうか? 神の愛を説きながら、後ろ手で子どもの裸をまさぐる。子どもの手を取り、おのれのものに触らせるその呪われた手でもって、多くの信者たちに祝福を与え、聖体を授与していたのでしょうか?

 聖職者である神父の行いは、記憶が戻っても信じることが出来ず、誰にも言わず、墓場まで持っていくつもりでした。ところが、退職した職員の告発によると、いまもなお、性虐待を伺わせる行為が行われています。職員が子どもを「添い寝」と称して自分の部屋に連れ込む。上級生から下級生へのレイプがある。まるで、昔のサレジオ学園の姿、そのままです。

 サレジオ学園は、男の子だけの施設であるにも関わらず、男の子同士の性行為の強要が昔からありました。職員から学習したことを、年下の子どもに繰り返す。性虐待の連鎖ともいうべき構図が、連綿と続いています。

 私が沈黙を守ることは、サレジオ学園の現状を黙認し、子どもたちの被害を増やし続けることです。 養護施設における性虐待を無かったこととし、子どもたちの悲痛なうめき声に耳を閉ざすことです。

 性虐待は、記憶をなくすだけではなく、さまざまな後遺症によって子どもを苦しめます。 もっとも信頼すべき大人からの性虐待は、人を信頼する能力を子どもから奪います。秘密を抱え込むことで、明るく前向きに生きることが出来ません。自分が汚れていると感じ、自殺衝動が沸き上がります。

 神が認め奨励する男と女の喜ぶべき愛の行為が、虐待の記憶を呼び起こすことになります。性虐待は、子どもの心と体を破壊するだけでなく、その未来までも破壊するものです。子どもの人生そのものに対する虐待です。

 イギリスでは、施設などでの子どもに対する性虐待は、1人につき終身刑一つが科せられるほど重大な犯罪です。ペドフィル(小児性愛者)の住所氏名を公表し、地域住民に注意を促します。アメリカでは、ペドフィル容疑者に対する調査は、人権侵害にあたらないという判例もあります。韓国でも、この秋からペドフィルの氏名をホームページで公表することになりました。

 先進諸国のあいだでは、子どもを性的に陵辱するペドフィルを許さない社会の意識が形成されつつあります。日本でも、未成年者に対する買春が処罰されるようになりました。児童養護施設恩寵園では、10歳の少女を強姦・強制わいせつした職員が逮捕され、懲役4年の実刑判決を受けました。

 また、強姦。強制わいせつに対する告訴期間が撤廃され、被害を受けても、告訴する力がついてから訴えることが出来るようになりました。性犯罪は、被害者を一生苦しめるのでから、告訴の時効が無くなるのも当然といえば当然です。

 東京サレジオ学園で過去から現代に至るまで行われ続けていた、入所児童に対する性虐待について、 是非調査をしていただき、公表し、二度と繰り返さない対策をとって欲しいと説に望むものです。

 聖書でキリストがいいました。「この小さき子らにしたことは、すなわち、私(神)にしたことである」と。

 カトリックの修道会であるサレジオ会が運営する東京サレジオ学園は、小さな子ども達と神に対して、いったい何をしたのでしょうか?  一人の信者として、虐待を受けたものとして、東京サレジオ学園に問いたいです。

サレジオ会管区長様

 初めまして。

 私は、サレジオ修道会が運営する児童養護施設東京サレジオ学園で小学1年から中学3年まで過ごしました。そして私は、サレジオ学園の元園長であり、カトリック神父であるT・M神父より性虐待を受けました。戻った記憶によると、被害は私だけでなく、複数の児童に及んでいます。つきましては、サレジオ会が運営する児童養護施設における性虐待については、厳正なる調査をしていただき、被害者に謝罪し、二度と繰り返さない対策を取っていただきたいと思います。

東京サレジオ学園に宛てた手紙を同封します。詳細は、そちらをご覧下さい。また、サレジオ学園での生活や虐待を、HPにて掲示しています。そちらも併せてご覧下さい。

サレジオ会が、過去になした犯罪的行為について、真摯に向き合うことを願っています。それでは。

がんばれ!養護施設出身者「エドワードの想い出日記」
http://star.ruru.ne.jp/yogo-shisetsu/

日本カトリック協議会様

枢機卿様

初めまして、

 私は、サレジオ修道会が運営する児童養護施設東京サレジオ学園で小学1年から中学3年まで過ごしました。そして私は、サレジオ学園の元園長であり、カトリック神父であるT・M神父より性虐待を受けました。戻った記憶によると、被害は私だけでなく、複数の児童に及んでいます。

 不思議なことに、この性虐待に関する記憶を封印し、生き延びることが出来ました。しかし、記憶が戻った今、カトリックの神父が行った行為について、どうしても納得する事が出来ません。私が、神から信仰を試されているのか、迷う日々です。

 つきましては、カトリック神父による児童への性虐待については、厳正なる調査をしていただき、被害者に謝罪し、二度と繰り返さない対策を取っていただきたいと思います。東京サレジオ学園に宛てた手紙を同封します。詳細は、そちらをご覧下さい。また、サレジオ学園での生活や虐待を、HPにて掲示しています。そちらも併せてご覧下さい。

 カトリック教会の神父が、過去になした犯罪的行為について、日本カトリック教会が真摯に向き合うことを願っています。それでは。


がんばれ!養護施設出身者「エドワードの想い出日記」
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